しか先輩のブログ

「正しい人の口は知恵を実らせる。しかし、ねじれた舌は抜かれる」

映画『スペシャリスト』(1999)のえぐさ

映画『スペシャリスト―自覚なき殺戮者』(1999)は、エルサレム下院内にあるメインホールで1961年に行われたアイヒマン裁判の記録映像を2時間に縮め、特殊加工を施した作品である。当時のイスラエル政府は、ナチス・ドイツの高級官僚としてユダヤ人絶滅計画に携わったとして、アルゼンチンでアイヒマンを逮捕し裁判所で裁かれる様子を映像化した。その目的は、アイヒマンナチスの行った虐殺行為の残忍さを世界に知らしめることにあった。

 しかし、イスラエル政府の意図とは真逆に、本作品はユダヤ人自らの罪を浮き彫りにしてしまう作品となった。というのも、物静かで几帳面な様相のアイヒマンの繰り返し述べられる「私はただ命令に従っただけだ」という言葉は観客化された「傍聴人」のユダヤ人らにそのまま反射される様子を映しているからである。ランズマン監督の長編映画ショアー』(1985)を参照軸に置くことによって、本作品がどのようにユダヤ人の「罪」を浮かび上がらせているのかを検証したい。

 

 まず、映画全体を通して異様なまでに強調されるのは、被告人席の防弾ガラスに映った傍聴人たちの姿である。これは、オリジナル映像にはなかったもので、監督らがフィルムを再構成する際に重ね焼きされたものだという。また、映画の視聴者は傍聴人の反応や罵声などを繰り返し聞かされる。これも、当初のフィルムにはなかったものである。

 

映画作成にあたって、もともと”The voice of Israel ”という番組のために録音された高性能テープをオリジナル映像に充てて再生する、という加工が施されたのだ。この音声加工により、オリジナルの映像ではほとんど聞こえない聴衆の声を鮮明によみがえられることに成功した。これら特殊加工によって、監督が恣意的に取り出して扱おうとしているのが「傍聴人」であり、「聴衆」であり、「観客」であるユダヤ人の姿だ。

 

彼らにカメラを直接向けることなく、私たち視聴者が「反射的に」彼らの姿を見、声を聴かされる、という演出からは、正面ではアイヒマンの罪を描きながらもそれに反射するようにして同時にユダヤ人の「罪」を暗示していることがわかる。

 

 ここで強調されるユダヤ人の「罪」とは何なのか。映画のインスピレーションにもなったアーレントエルサレムアイヒマン』にも書かれるユダヤ人評議会のことが関係している。評議会のメンバーは同じユダヤ人でありながら、ゲットー管理や強制収容所への移送管理をしたことで、自ら絶滅の共謀者となったというアーレントの指摘は映画内でも一切取りこぼすことなく描かれる。それは、元中央委員会メンバーの証人をして「私たちには逃げるしかなった。命令に従うしかなかった」とアイヒマンの主張と全く同じ言葉を言わしめ、アイヒマンのそれに対比する描写に顕著である。

 

 ただ、この映画で取り扱っているユダヤ人の「罪」は、評議会の問題にとどまらず収容所で労務班として働き生還した人々、さらに現在を生きるユダヤ人全てにも向けられているのではないかと思う。

 

労務班として働いた人々の証言は、長編映画ショアー』に収められている。とりわけ、理髪師でホロコースト生還者のアブラハム・ボンバの証言は『スペシャリスト』でのアイヒマンを考える上で示唆的だ。トレブリンカ強制収容所内でガス室に送られる人々の髪を切る任務にあたっていたアブラハムは、監督ランズマンの質問に対し次のように当時のことを証言する。

 

ボンバ:ある種の仕事のために床屋を呼び出せ、という命令が、ドイツ兵から出されました。どんな仕事のために必要なのか、その時はわからなかったのですが、できるだけ大勢の床屋が集まったんです。(中略)1人のカットに、2分ほどかけましたが、それ以上は無理でした。髪を切ってもらう順番を待つ女性が、大勢いたもんですからね。

ランズマン:その時の借り方を真似してもらえます?どんなふうにしていたんですか?

ボンバ:そうですね……。できるだけ手早く、というのがコツです。われわれは、みんな、プロでしたからね。(中略)一秒だって、無駄にできないんですから。同じことをしてもらうため、外にはもう、次の集団が待っています。

 

一方で、『スペシャリスト』でアイヒマンが自分の任務を説明する場面は以下のようだ。

ハウスナー(検事):その強制移住の機構の中であなたはスペシャリストと評価されていた

アイヒマン:ええ、移住は大変複雑な問題ですから、事態を把握しない成果は望めません。ユダヤ人も―

(中略)

ハウスナー:総責任者としてのあなたを評価し、スペシャリストだと。具体的には何のことですか?

アイヒマン:ええ、私が移住の現場の実際の経験で身に着けた実務能力のことです。移住はとても複雑な領域です。さまざまな国の移住に関する法律や申告すべき財産の額や旅券など複雑な事務的事柄を暗記していました。その意味で私はスペシャリストでした。

 

両者の表象から見えてくるのは、どちらとも上からの命令にしたがって任務をこなすしかなかった「職業人」の姿だ。アイヒマンの場合は自らをスペシャリストといい、ボンバはプロと言う。アイヒマンは淡々と話し、ボンバは時に感情的になりながら語る。表情や語り方は正反対なのにも関わらず、両者が語る内容は酷似している。

 

裁判記録の映像に過ぎなかったフィルムに『スペシャリスト』という題名を与えた監督のシヴァンとブローマンは、この『ショアー』でのボンバの描写を意識したように思えてならない。監督らは、ボンバの証言に重ねられうるアイヒマンの言葉を意図的に選んだのである。そうすることによって、命令に従って自分の仕事をする他逃げ道はなかったユダヤ人の「罪」が「アイヒマンの罪」と対比させて赤裸々にする効果を狙ったのだ。

 

アイヒマンの罪」というフィルターを通して映画『スペシャリスト』が映すのは一貫してユダヤ人の「罪」だ。劇場化された裁判所で、被告人の防弾ガラス越しに「観客」としての立ち位置に安住する人々、命令に従って任務を行うことしかできなかった人々こそこの映画の主役といえる。『スペシャリスト』のえぐさはここにある。

 

参考:

エイアル・シヴァン/監督、ロニー・ブローマン&エイアル・シヴァン/脚本 DVD『スペシャリスト―自覚なき殺戮者』(1999) ※本編および解説部分

クロード・ランズマン、高橋武智/訳『SHOAH』(1995) 作品社

ハンナ・アーレント、大久保和郎/訳『エルサレムアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』(2017) みすず書房