しか先輩のブログ

「正しい人の口は知恵を実らせる。しかし、ねじれた舌は抜かれる」

目取真俊『眼の奥の森』の暴力性

 

眼の奥の森

眼の奥の森

 

米軍に占領された沖縄の小さな島で、事件は起こった。
少年は独り復讐に立ち上がる――
悲しみ・憎悪・羞恥・罪悪感……
戦争で刻まれた記憶が、60年の時を超えて交錯し、せめぎあい、響きあう。
読む者の魂を深く揺さぶる連作小説。(Amazonより) 

 

目取真俊の小説「眼の奥の森」では、筆者はさまざまな手法を用いて、ある観点からみれば過激な、暴力的な描写を試みている。「コザ希望」にいてもそうだが沖縄の米兵に対する怒りを複数の視点から、全体像を浮かび上がらせる形で描いている。

 

多様な視点の中に、人称を使い分け、ウチナーグチによる盛治の独白を含ませながら、一つの事件をなまなまと描く。目取真がこの作品の中で直接扱っているのは、米兵に対する怒りであり憤りだ。

 

しかし、それは米兵に対する抵抗であると同時に、本土の私たちへ向けた怒りであるとも読み取れる。盛治が米兵に向けた銛はヤマトの人間に向けられたものなのかもしれない。

盛治が銛を持って米兵に向かっていった一部始終を目撃しているフミは、現代において盛治が隠れていた洞窟の前でこう話す。

小夜子姉さんがアメリカー達に乱暴されても部落の男達は何もしーきれなかった。アメリカー達がいない前では叩き殺してやると言っていても、アメリカー達が来ると、叩き殺すどころか何も言い切れもしないで、あの輩達に言われるままに盛治を捕まえるといって山狩りの手伝いまでやっていた。あの時代は抵抗したら殺されたんだから、仕方がないと言えばそれまでだけどね、だけど私は、棒きれを持って部落の男他あちと一緒に盛に向かう父親を見て、イヤでイヤでたまらなかったさ。父親だけでなく村の男達みんながイヤでイヤでたまらなかった。(本文82ページより)

 

これは現代のヤマトの人々へ向けられたメッセージとも読み取ることができる。それは現在、多くの米軍基地を沖縄に押し付けているという事実だけではなく、本土の人々が沖縄の人々に歴史的に強いてきた行いとも密接に関連している。

それは1879年、明治政府が琉球藩を廃止し、首里城明け渡しを強行したことに端を発する。琉球をめぐる日清間の領土問題が未解決であったこともあり、琉球王国を「沖縄県」として強制的に日本の領土に組み込んでいったのである。

明治政府は「化外の民」といわれた異質な琉球を日本化するため、徹底した皇民化政策を実施した。「日の丸」、「御真影」、「教育勅語」を用い、皇室国体に関する観念が比較的希薄な沖縄に対し、明治政府や沖縄県庁は徹底した皇民化政策を推し進めた。日本政府にとって「軍事思想に乏しく軍人と為らずを好ま」ない沖縄県民の県民性を、忠君愛国の「忠良なる臣民」に変えることが急務となった。

 

皇民化教育の過程で行われたものの一つに方言撲滅がある。方言を使った生徒に対し方言札を吊るさせる、ということが教育現場で起こり、その運動の行き着くところは沖縄戦の時、第32軍が「沖縄語を使うものはスパイとして処分する」と軍命令を出すことに向かっていく。

こうした徹底した皇帝化政策による「死の教育」、投降することを絶対に許さない日本軍の作戦が沖縄の人々に、集団死を強制したことは言うまでもない。さらに、終戦後も続く米軍支配と度重なる暴行事件。

 

沖縄の近代史は、本土による抑圧の歴史である。それは、琉球処分から始まり、今現在の米軍基地を押し付ける姿勢にいたるまで何も変わっていない。このことに対する沖縄の人々の叫びが作品中に描写されている。

 

先に引用したフミの発言はこれに通ずるものがある。盛治が一人で米兵に抵抗したのに対し、他の部落の人々は強姦事件があっても何も出来ず、米兵を恐れ影では「叩き殺す」といっておいて何もできない。

 

この構図は、現在の日本と同じだ。基地を抱えた沖縄県だけが一人で米軍支配に抵抗する一方、本土の人間はアメリカとの交渉のカードのやり取りに必死、アメリカに従うだけで、結局はこの大国を前にして大きく踏み出すことができない。結局はアメリカの存在、アメリカの機嫌を伺いながらの交渉で本土の人々はなすすべも模索しようとしない。

この小説に描かれる暴力、怒り、憤りは直接的にはアメリカに向けられている。しかし、その奥には抑圧の歴史を繰り返す本土の人々、または自らへ向けられたものと考えられる。

本土の人々は抑圧の加害者なのにもかかわらず、無関心という罪をまたその上に背負い、何不自由なく、米軍基地とほぼ無縁の生活を生きている。そして毎日、天気の良い日に浜辺で海を見る盛治に向けられる島の人々の視線は冷たい。

 

近寄りがたく、子供にもそこへ行かせない。本土の人々にとって沖縄は明るい太陽とあたたかな気候、蒼い海の島々であっても、戦争の問題には触れたくない。目取真はそんな私たちに向けて、現在も続く少女暴行の問題を生々しく突きつける。

 

二章目で、区長の聞き取り調査が行われる場面が登場するがこの部分の形式は二人称となっている。これは、米兵に協力した区長と読者とを同一化することによって読者側が罪を背負っていることを象徴する手法であると考えられる。ここでは、二人称を使って逃れようとしても逃れられない罪と、そして戒めに読者は追い込まれる。

 

実際、私は二章では「お前」と称される人物が誰なのかわからず、固有名詞として捉えて自分に突きつけられたものから必死に避けようとした。「お前」が紛れもなく私自身のことを指す、とわかったのはもう一度読み返してからである。

 

目取真はこの作品において、暴力的な描写を試みている。私たちは、これが道徳的に反するというのとは別の次元でこの描写を見なくてはならない。単にこの描写に反対することは、自らに対する戒めから逃れようとしていることになるからだ。

この作品を通して、読者は『眼の奥の「銛」』を突きつけられた以上、新たな圧力を帯びながら生きてゆかねばならない。しかし、沖縄の人々はそのただなか、いやそれ以上の圧力を帯びながら生き続けてきたのである。

 

参考文献

目取真俊「眼の奥の森」影書房、2009

・「歩く・見る・考える沖縄」沖縄時事出版、2008

・井谷泰彦「沖縄の方言札」ボーダーインク、2006